第1回 『見つめられる顔 ユニークフェイスの体験』

第1回 『見つめられる顔 ユニークフェイスの体験』

「今年の抱負」でもふれましたが、「当事者のみなさんの声」をお届けしてい
きたいと思います。そこで、このコーナーでは、アピアランス問題(「見た目」
の問題)に関するドキュメンタリーや体験談の書籍や映画等を紹介して参ります。
時には、直接インタビューや対談をお願いしていく予定です。

さて、第1回目は、私の古巣NPO法人ユニークフェイスの書籍『見つめられ
る顔 ユニークフェイスの体験』を取りあげてみました。
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【内容】

《顔に傷やアザのある当事者たちの本物の肉声がここにある。》

ユニークフェイス当事者(※1)12名および家族4名(母親3名、父親1名)
の体験談集。いじめ、差別、中傷などの体験が語られているだけではなく、家族
や友人との葛藤や複雑な真情を吐露(とろ)している。編者3名(石井政之氏、
藤井輝明氏、松本学氏)も当事者であり、NPO法人ユニークフェイスの設立に
貢献された方々である。
本書は本音で語られているにもかかわらず、感情に流されることなく、冷静に、
淡々とつづられている。巻末には症状についての基礎知識やユニークフェイス関
連文献も載せられている。アピアランス問題を考える上で、まさに必見の書であ
る(が、残念ながら絶版)。
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●本物の肉声

《アザや傷のある顔で生きるということは、苦しく悲しいことのようです。し
かし、顔に傷やアザがあるだけで、なぜこんなにまで生きることに必死にならな
ければならないのでしょう。》

「顔にアザがあったら、いじめられたり、ひどいことを言われたりして嫌な思
いをするだろう。恋愛や結婚でも悩むだろう。就職差別もあるはずだ。」ユニー
クフェイスに出会う前の私は、漠然とその程度の想像はしていました。しかし、
本書は、そんな私の想像をはるかに超える内容でした。アピアランス問題はもっ
と複雑で、深い問題なのです。
「見た目」に対する中傷、いじめ、差別。その理不尽さへの怒り、苦しみ。で
も、それだけではありません。家族への愛情、自分自身への叱咤(しった)、あ
きらめ、後悔・・・。「見た目」が普通とは違う、ただそれだけなのに、なぜこ
こまで複雑で困難な日々を積み重ねなければならないのか。読んでいて、もどか
しくもあり、切なくもあります。

本書は、闘病記や体験記にありがちな、「明日に向かって、明るく、楽しく頑
張ってます!」的なお話はひとつもありません。かといって、単純に「社会が悪
い。いじめや差別をする社会の方が間違っているんだ」という主張を前面に押し
出し、社会に対する恨み辛みをつづった本でもありません。絶望でもなく、薄っ
ぺらい感動話でもない。《本物の肉声》が、本物の重みをともなって、静かに静
かに迫ってくる。そんな本です。

●繰り返される日常

入学、就職、結婚といった人生の節目に、大きな壁にぶつかることがあります。
本書でもその時その時の問題や心の動きが素直に語られています。しかし、大変
なのはそれだけではありません。日常生活の中でも、日々問題が繰り返されてい
ます。学校生活、職場、近所づきあい、買い物、通勤・通学等々、あげていった
らキリがありません。

《小さな時から大人たちの冷たい視線。穴が開きそうなほど見られ、私が動く
方、動く方へ視線を動かし、耐えられない思いでした。》

《幼い頃、砂場に遊びに入ると、まわりの子どもたちがいっせいに逃げ出した
らしい。》

《フォークダンスの時、男子が私とだけ、手をつながない。給食当番の時「食
器に触れるな」と、バイ菌のように扱われる。》

そんな毎日にじっと耐えつつ、けっして卑屈(ひくつ)にならないようにと、
力を振り絞って生きている姿が書かれています。

●周囲とのかかわり

《人の手から遠ざかって、どれくらいたったろうと、つい懐古調(かいこちょ
う)になってしまう。
わたしは、自分からは手は出さない。アザの手で触ると嫌がられるだろうから。》

そうつづっている人がいます。彼女は、自分に寄せられた好意を素直に受け止
めることができないのです。

《わたしのような者を愛するには、何らかの見返りがいるはずだ。ただ好きだ
なんてとらえどころのないものに、わたしは安心できない。》

安心できない彼女は、相手に何度も何度も気持ちを確かめるようなことをして
しまいます。そして、いつしか、関係は壊れてしまいました。しかし彼女は、こ
う続けています。

《かれは、わたしに世界の半分を返してくれた。わたしは、許されないと思っ
ていた大地に立った。そこで見たのは、触れること、楽しむこと、信じること、
そして限度。》

幼い頃から心ない言動に傷つけられ、他人と接することが怖くなり、上手にコ
ミュニケーションがとれなくなってしまう。そんな彼女を責めることができるで
しょうか。アピアランス問題は、当事者の心を深く傷つけるだけではなく、長い
間苦しめ続けているのです。

●すれ違う思い

家族や友人、同僚との人間関係については、その立場の違いから容易には克服
できない現実も語られています。とくに親子関係については切実です。

たとえば治療についてですが、親にしてみれば可能な限り治療させたいと考え
ます。しかし、ことはそう単純ではありません。なぜ(「見た目」だけのことで
あり、治療の必要性はないはずなのに)治療しなくてはならないのか。治療をす
るということは、「ありのままの自分」を否定することでもあり、ひいてはアイ
デンティティーの問題へと繋がります。

《幼いうちにある程度治してやりたいというのは、親としてごく普通のことで
あると考えてきたが、ユニークフェイスの当事者で、小さい頃、親に連れられて
治療したという方が、「顔にアザのある自分の存在を否定されたような気持ちに
なった」というのを聞いて、胸をつかれた思いがした。》

子供のためを思えばこそ、親は治療を受けさせる。他方、「ありのままの自分」
を大切にしたいが故に、当事者は治療を拒否する。親子だからこそ起こってしま
う問題です。

●家族への愛情

本書を読んだとき、私が一番衝撃を受けたのは、当事者のみなさんの、家族
(とくに親)への愛情の深さでした。

「自分がこんな酷い目にあうのは、この顔のせいだ。なんでこんな顔に産んだ
んだ」と親を責め、うらみ、その結果、親子関係がうまくいかない人が多いので
はないかと想像する人は少なくありません。ところが、現実はそうではありませ
ん。

《家族の平穏を、自分は生まれるだけで壊してしまった。自分が生まれてこな
ければ、守られたはずの幸せは大きかったはずなのに。》

彼らはいつだって、家族に負担をかけてしまっていることを悔やみ、できる限
り心配をかけまいと気遣っています。自分のせいで肩身の狭い思いをしているの
ではないかと、本当に申し訳ないと思っているのです。
そして、親はというと、「代われるものなら代わってやりたい」と心の底から
思っています。

互いに思いやり、気遣いからこそ、かえってギクシャクしてしまう。彼らがそ
んな思いを胸に秘めていることを、みなさんは知っていたでしょうか。

●当事者の声にふれる

本書の「あとがきにかえて」には、こんなふうに書かれています。

《本書によって、私たち顔にアザのある人たちが、堂々と社会に出て発言でき
るということを証明できた。医師などの専門家の治療の対象、救いをもとめるだ
けの患者、形成外科の論文で目隠しされた物言わぬ人間ではない。自立した人で
ある、ということを公に示すことができた。
当事者が語り、書くとくことは冒険である。その冒険を成し遂げた勇者へ。あ
りがとう。》

実際、当事者に会って、直に話を聞く機会はそうあるものではありません。し
かし、本書を読めば、彼らの声にふれることができるのです。
出版してくれて、本当にありがとうございました。

(おわり)

★★追伸★★

冒頭でも告げましたが、残念ながら本書は絶版になっています。でも、古書な
ら手に入りますし、図書館でも読むことができます。是非!

→第2回 ジロジロ見ないで(前編)

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