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第5回 カバーメイク(1) 〈再録(加筆・訂正)〉

2010年1月7日

 第5回 カバーメイク(1) 〈再録(加筆・訂正)〉
目次:カバーメイク

1 カバーメイクとは
2 歴史(「カバーマーク」誕生から日本導入まで) 
3 カバーメイクの功罪
4 今、日本では(日本の現状)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1 カバーメイクとは
(1)カバーメイクとは

 カバーメイクとは、アザやキズをファンデーションでカバーして、目立たなく
するメイクのことです。普通のファンデーションよりもカバー力の高い、カバー
用ファンデーションを使用します。

 日本では、カモフラージュメイク、カモフラージュセラピー、メディカルメイ
クアップ、スキンカモフラージュ、セラピーメイク、リハビリメイク、メディカ
ルカバーメイク等々、各企業や団体により、様々な呼び方がされています。
 なお、欧米では、カモフラージュメイク(camouflage make up)またはカモフ
ラージュセラピー(camouflage therapy)という呼び方が一般的です。

(2)カバーメイクの役割

 カバーメイクに求められることは、何と言っても、「アザやキズをファンデー
ションでカバーして目立たなくすること(症状がある部分とない部分との見分け
がつかないような自然な仕上がり)」です。
 その結果、カバーメイクの利用者にもたらされるのは、「その症状がなければ
得られたであろう普通の社会生活(皮膚の変色などの症状による悩みや絶望から
の解放)」です。

 例えば、アザのある人が、カバーメイクによって、まるでアザなどないかのよ
うになり、他人からジロジロと見られることがなくなる、ということです。

 ただし、カバーメイクも万能ではありません。メリットも大きいのですが、デ
メリットもあります(詳しくは「3 カバーメイクの功罪」および「4 今、日
本では(日本の現状)」の章にて)。
 また、当事者本人が、「素顔で暮らす」ことを選択するのであればカバーメイ
クは不要ですし、TPO(※1)にあわせてメイクしたりしなかったりする人も
います。
 カバーメイクは、当事者にとって非常に大きな役割を担っていることは事実で
す。しかし、すべての当事者が絶対に必要なものというわけではありません。カ
バーメイクをするかしないかは、当事者自身の判断に委ねられるべきであり、
けっして強要されるものではありません。
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2 歴史(「カバーマーク」誕生から日本導入まで)
1928年 米国の女性リディア・オリリー氏が、カバー用ファンデーション「カ
    バーマーク」を開発(後に、リディア・オリリー社を設立)。
1955年 原爆乙女がニューヨークにて「カバーマーク」の施術を受ける。
1959年 沢田美喜氏が「カバーマーク」日本導入に力を注ぐ。
1960年 ジャパン・オリリー(オリリー株式会社)設立。
    全国皮膚科学会にて「カバーマーク」を紹介。大きな反響を呼ぶ。
    日本にて「カバーマーク」製造販売開始。

(1)「カバーマーク」誕生(カバーメイクの始まり)

 カバー用ファンデーション「カバーマーク」の発明が、カバーメイクの始まり
です。
 「カバーマーク」を発明したアメリカのリディア・オリリーは、顔の左側に大
きな赤アザのある女性です。
 彼女は、大学卒業後、デパートの就職試験を受けましたが、「アザがあるため、
接客業には不向きである」との理由から断られてしまいます。
 失意の中、リディアは、ふとしたきっかけから「赤いアザの上に色をぬったら
アザがカバーできるのではないだろうか」と思いつき、独自に研究を始めました。
 彼女は大学で化学を専攻し、成績も優秀だったそうです。専門家に教えを請い
つつ研究に研究を重ね、ついにカバー用ファンデーションを完成。「カバーマー
ク」と名付けました。(※2)

 マーク(mark)とは「アザ」という意味です。つまり「カバーマーク」とは
「アザをカバーするもの」ということ。まさに“必要は発明の母”、当事者自身
の必要性から生まれたファンデーションなのです。

 リディアは努力の末に「カバーマーク」の特許を取得し、免税措置も受けるこ
とができました。そして、会社(リディア・オリリー社)を設立し、「カバー
マーク」の普及に全力を尽くしました。

(2)日本への導入

 「カバーマーク」を初めて使った日本人は、原爆乙女(※3)です。1955年、
治療のために渡米した彼女たちは、治療の補助手段として「カバーマーク」を紹
介されました。彼女たちが持ち帰った「カバーマーク」が、日本に始めて持ち込
まれた「カバーマーク」です。原爆乙女たちは自分に必要な分しか持ち帰ること
ができませんでしたが、「カバーマーク」は日本でも話題となり、日本への導入
が望まれるようになりました。

 同じ頃、戦後の混血児救済の担い手として高名な沢田美喜さん(※4)も「カ
バーマーク」に注目していました。沢田さんは、当初、肌の色の違いで差別され
る子供たち(とくに黒い肌の子供たち)の助けになるのではないかと考えていた
ようですが、その後、原爆乙女やアザのある女性、そのほか「カバーマーク」を
必要とする大勢の当事者のために、日本導入に尽力されました。

 たくさんの人たちの協力を得て、1960年、ジャパン・オリリー(オリリー株式
会社)が設立されました。そして、全国皮膚科学会での発表を経て、ついに日本
で製造販売することが可能となりました。

 オリリー社設立には、もう一人、当事者の女性が大きな役割を果たしています。
『出会い、そして奇跡 愛の灯を点して25年』の著者、仲川幸子さんです。彼
女は黒皮症(※5)の当事者でした。
 仲川さんは「カバーマーク」のデモンストレーションのモデルをつとめながら、
アメリカ人技術者に直接指導を受け、カバーメイクの技術を習得されました。カ
バーマークアーティスト日本人第1号となり、その後も日本全国を飛び回って、
カバーマークの日本普及に大きく貢献されました。
(続)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※1 TPO(ティーピーオー)
 Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)(注:Opportunityと使われ
ることもある)の頭文字をとって、「時と場所、場合にあった方法」を意味する
和製英語。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
※2 デパートへの就職
 当時、アメリカではデパートの店員は女性の憧れの職業でした。リディアは、
カバーマークを完成させた後、再びデパートの就職試験を受けています。そして、
みごと採用。しかし、そのような社会の情勢には矛盾を感じていたようです。
 その思いが、同じような悩みを抱えている大勢の人たちを救うことへと繋がっ
ていきました。
※3 原爆乙女(げんばくおとめ)
 広島で被爆して顔や体にケロイドを負った若い女性25名が、1955年、形成手術
のために渡米。彼女たちは「原爆乙女(Hiroshima maiden)」と呼ばれるように
なりました。
 原爆乙女のアメリカでの治療のニュースは日本でも話題となり、彼女たちの帰
国後、原爆医療法が制定されました。
※4 沢田美喜(さわだみき)
 社会事業家。三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の孫娘。敗戦後、エリザベス・サ
ンダースホームを創設し、アメリカ軍兵士を中心とした連合軍兵士と日本人女性
の間に生まれた混血孤児たち、およそ2000人を育てました。
※5 黒皮症(こくひしょう)
 化粧品などによる接触皮膚炎によって、正常では表皮にあるメラニン色素が真
皮に落ち込み、濃褐色から紫褐色の強い色素沈着を起こします。まるでそこだけ
入れ墨をしたようになってしまいます。
★主な参考文献★
『出会い、そして奇跡 愛の灯を点して25年』(仲川幸子・著)(絶版)

『メディカルメイクのすべて』
  (NPO法人メディカルメイクアップアソシエーション・編)
※『メディカルメイクのすべて』は、NPO法人メディカルメイクアップアソシ
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 詳しくはこちら http://www.medical-makeup.net/news/19.html
☆その他の参考資料☆
グラファ ラボラトリーズ株式会社のホームページ http://www.grafa.jp/
『医療スタッフのためのリハビリメイク』
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほか
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