Vol.015:それでも“顔”が大事ですか?

原発問題で日本中が揺れに揺れています。放射線は見えない。浴びても痛くない。ゆえに、恐怖心をあおられ、結果、水道水は怖くて飲めない、東北産の野菜は食べられない・・・なんてことになっちゃう。自戒を込めて、情報に惑わされないようにしたい。

「被ばく事故」を、遠い外国の話ではなく、自分が暮らす日本の現実として恐怖を感じたのは、1999年9月、茨城県東海村で発生した臨界事故です。核燃料の加工作業中に臨界に達し、作業員が大量の放射線を浴びてしまいました。

『朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』(編集・NHK「東海村臨界事故」取材班)という本があります。被爆した作業員の壮絶な治療のドキュメンタリーです。83日間におよぶ治療経過や、治療に関わった医師や看護師、そして家族の様子などが克明に書かれています。
中でも、私が最も気になったのは、治療中、患者の「見た目」が著しく変わっていくことに対する医師や看護師たちの動揺と、その事実を静かに受け止める家族の姿でした。

患者の容態がきわめて厳しくなったとき、医療スタッフはある決断をします。
「顔のガーゼをはずして家族と面会させよう」と。そして、少しでもきれいに見せようと工夫をします。
面会の日、家族は、「ずっとガーゼでおおわれていたし、どんな顔になっているのか気になっていた。顔を見せてもらってよかった」と言い、それまで気丈に振る舞い、誰の前でも一切涙を見せなかった妻が、初めて泣いてしまうのです。

人間にとって、いったい「顔」とは何なのでしょうか。

今晩の『ヒロコヴィッチの穴』Vol.15 では、「顔」というものがもつ意味や価値について率直なところを語ってみたいと思います。

『ヒロコヴィッチの穴』Vol.15
テーマ:「それでも“顔”が大事ですか?」

●「顔」=真っ先に目に入るもの。ゆえに、第一印象は「顔」次第?
●その人を識別するためのもの
●感情が喚起されるスイッチ

今晩は(も?)深いテーマを『ヒロコヴィッチの穴』ならではのテイストでお届けしました。

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