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Vol.03 病気にひるまず叱って欲しい

2010年1月9日

「病気にひるまず叱って欲しい」
(水谷 修 著 『夜回り先生』 )

夜回り先生こと、水谷修氏の存在を知る人は多い。夜の街にたむろする子どもたちを危険から守るべく声をかけて回る。自らの健康さえ省みず全国を飛び回り、講演活動に励み、子どもたちの相談にのる。その活動には本当に頭の下がる思いである。

しかし水谷氏の考えに全面的に賛同できるかと問われればNoと答えざるを得ない。子どもの非行は全て大人の責任、という氏の考えに対して、私には別の持論がある。

「明らかに悪いと認識できる行為を強制されずに行う者がいた場合、その責任は本人にある。たとえそれが未成年であったとしても、そしてどんな不運に見舞われた人間であったとしても。」

氏の代表作「夜回り先生」の中に「姉妹」という章がある。姉から24時間陰湿ないじめを受け続け、3年もリストカットを続けている少女。親からも庇ってもらえず、生きる望みを失いかけた彼女がすがったのは「夜回り先生」だった。

飛行機に乗って駆けつけた水谷氏が目にしたのは、両腕を包帯で覆った美しい少女と、顔面に大きな痣を持つ姉の姿だった。「妹は容姿に恵まれているのに姉はこの顔で苦労するから、妹にいつも我慢をさせた」とは両親の言。「妬んだりいじめることでしか自分を表現できなかった。生きている実感が欲しかっただけ」。
これは妹に殴る蹴る、服を鋏で切るなどのいじめを繰り返した姉の言い分。そして「姉妹は二人とも悪くない」というのは水谷先生のご意見である。

私に言わせれば、みんなおかしい。こう言えば批判も出るかもしれないが、姉の行動は早い話が八つ当たりである。何も非のない相手に暴力をふるって「悪くない」もないだろう。生きている実感が欲しい、などと言って暴力をふるわれたり服を切られる人間はたまったものではない。

勿論、姉も悪いとは分かっていたのだろう。悪い、と分かっていることをあえて続けることは人の心を荒ませる。姉の行動を黙認した両親は妹だけでなく、姉の心を救うことすら放棄していたのではないか。何故「お前は間違っている」と暖かく叱ってやれなかったのだろうか? そして水谷氏を「悪くない」と言わせたものは何だったのだろうか・・・。

私自身、痣を持って生まれてきて、多くの人に遠慮もされたし、同情もされてきた。その善意や気遣いは今でもありがたいと本気で思っている。しかし同情や遠慮は時としてかなぐり捨てる勇気も必要なものだと思っている。もっと大切なことは世の中、いくらでもある。物事の善悪を正すこともそのひとつと言えるだろう。

病気に苦しむ人間に厳しい言葉は吐きにくい。病気に苦しむ人間は時にはそれを免罪符のようにふりかざして我儘のひとつも言ってみたくなるものである。しかしそのために許されざることが許された時、そこには確実に新たな不幸が生まれてしまう。

病を持って生まれた者のひとりとして、そして社会の一員として、私は願わずにはいられない。もしも誰かが病気に甘えて新たな不幸を生み出したなら。周囲の人が病気にひるまず、叱る勇気を持てますように、と。

(おわり)

→Vol.04 物語の中に見た現実

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